2015年4月1日水曜日

ファビウス、ルソー、シャトーブリアン

シャトーブリアンChateaubriandの『ルネRenéや『墓の彼方からの回想Mémoires d’outre-tombe』は、19世紀前半の時点で、はやくも、幼少期をも文学的テーマとした点で先駆的だと言われる。
 しかも、孤立しやすい性格の特異な少年像をも描き出している。たとえば、『ルネ』のこの一節。
「私の気象は激しく、性格は変り易くありました。騒々しく賑やかな、かと思へば、むつつりと陰気になり、小さい友達を多く集めるかと思ふと、また俄かに彼らを捨て去つて、一人離れて坐つては、飛び行く雲を眺めたり、樹々の葉並に落ちる雨の音を聞くといふ風でした」(『ルネ』、畠中敏郎訳、岩波文庫1938年、p.138.
 だが、もちろん、好奇心旺盛で敏感な稀代の大読書家シャトーブリアンを、この点でも特権化しないこと。オリジナルというより、ブッキッシュで総覧的頭脳だった彼を見誤ってはならない。
 フランス・ロマン主義の系譜考察とはなんの関わりもないような秋山駿の『信長』(新潮社、1996)が、簡明に参考資料を提示してくれている。
 信長の幼少時代を検討しつつ、秋山はルソーやファビウスに言及する。
 まず、ルソー。
「できる限りは、仲間から外れようとした。しかし一度その仲間にはいって調子がつくと、一番熱心になり、誰よりも遠くまで歩いた。動かすことも難しければ、引き止めることも難しいのが、いつの場合にも、私の変わらない傾向であった」。(ルソー『告白録』、井上究一郎訳)
次に、ローマの盾とよばれた政治家ファビウス。現代で持久戦をファビアン戦略と呼ぶ戦法の由来となった人物で、第二次ポエニ戦争で大いにハンニバルを苦しめた。
「静かで黙りがちで子供の遊びに非常に用心して加はり、物を習ふのに遅くて骨が折れ、友達に対して優しく、外の人々には何となく愚鈍ではないかといふ疑を起こさせた」。(『プルターク英雄伝』「ファビウス」、河野与一訳)
 つまり、他の少年たちとは完全には同一化せず、距離をとる少年像において、『プルターク英雄伝』からルソー、ルソーからシャトーブリアンという流れがはっきりとあるということ。ラテン語がよくでき、ギリシア語もできたシャトーブリアンは、直接、『プルターク英雄伝』を読んでもいた可能性がある。
 ここから、ふたつのことが推測される。
『墓の彼方からの回想』に描き出されたシャトーブリアン自身の少年時代の自画像は、多分に、ルソーやプルターク由来の偉人の少年期の像の借用でもあり得ること。
 また、『ルネ』に描かれた少年像は、少なくとも、文学的描写の点において、ルソーへのオマージュでもあること。
 もちろん、シャトーブリアン自身に、やや得意な少年時代がなかったとまでは言えない。ルソー少年やファビウス少年に似た傾向はあったのだろう。それをどこまで誇張拡大したか、という話である。

 

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