イタリアに攻め込んだ百戦錬磨のエピルス王ピュロスをクリウス・ デンタトゥスが撃退し、 その勢いに乗って南イタリアのルカニア地方も征服したB.C. 275年の時点で、ローマのイタリア支配が達成された。
ここでの有名な支配の仕方は、現代でも他国・ 他民族支配方法の基本となっており、 支配地域から兵員を吸い上げる優れた方法なので、 振り返っておく価値がある。
ローマ領とした地域は、 すべてがローマ国家の領土となるわけではない。シネ・ スフラギオ(投票権)のないローマ市民権を与え、 各都市の自治を認めて、ムニキピウム(自治都市)とする。 ムニキピウムの市民を徴兵し、ローマ軍に従軍させる。
南イタリアのギリシア都市など、遠方の都市共同体の場合は、 独立を保たせたまま、フォエドゥス(条約)を結ばせ、ソキイ( 同盟市)として、実質的なローマ支配下に入れる。 ソキイには定まった数の兵員提供を義務付け、 同盟軍を組織させる。
支配下に入れた地域を併合せず、破壊もせず、 独立を保たせたまま、あるいは自治を認めたまま、 兵力を提供させる方法で、文化面には手をつけず、 社会構造や政治機構にも極力手をつけない。 太枠のローマ連邦拡大や維持へと各都市や各地域を方向づけようと するものである。
これとは違って、戦争で勝利した地域を国家が没収し、 公有地とする場合もある。貴族に委ねて耕作や牧畜に使用させ、 土地使用料を国家が吸い上げたり、国家管理のコロニア(植民市) を建設したりする。
土地所有農民となるのを望む平民をコロニアに送り込むのだが、 入植者はローマ市民権放棄を強いられ、 通商権や通婚権のある準市民権のラテン権に移行させられる。 ローマ出身の平民であっても、 支配都市の市民のステイタスに格下げする措置だろう。 国家組織は、成員の平等化とともに、 つねに格差付けや階級付けによる不平等化をも行わなければならな い。人間の集団にあっては多様な仕事や作業が必要とされ、 全員が同質・平等では自発的従事者が減る領域もある。 巧妙に不平等化を創出することで、 一定数の人員を不人気な労働に導くのは、国家運営の要事である。
戦後から現在に至るまでのアメリカの対日戦略は、 より洗練されているとはいえ、 ローマに淵源を持つ方法論にもとづく。戦争放棄憲法を持たせて、 ある時は軍事力を極力削ぎ、 ある時は憲法に矛盾した軍事化を進めさせ、 次には戦争放棄憲法を外させる。 戦争終結時点からの柔軟な複数のシナリオにもとづく支配が続いて いるだけで、日本が今になって、 アメリカ連邦体制の軍事的一地域であることから逃れようとするの は非現実的である。 独立国家としての独自な平和路線を追求することは、 国内に張り巡らされたアメリカの支配網の存在により、 児戯に等しい。基地や莫大な上納金を提供し続けながら、 まだまだ長期に亘ってソキイ(同盟市)であり続ける他はない。
しかし、 経済問題や身分問題の無限のうねりを血液とするあらゆる組織や国 家は、それが、指令・統合・ 分配等の作業を維持する当面の機構のまま健全に機能し続けるかぎ りにおいて、まさにそのことによって確実に疲弊し、 ゆっくりと崩壊の道を歩んでいく。 消滅しないローマなど存在し得ない。 大国や強大な覇権の分解過程については、 ローマやヨーロッパ史よりも、 古代メソポタミアの諸国の興亡や中国史、 アジア史がいっそう鮮烈に教えてくれるかもしれない。
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